2007年03月06日
戦前の沖縄でロケをした映画
父は1937年に公開された映画「オヤケアカハチ」が記念運動場(現在の首里杜館周辺)で撮影されているところに出くわして、その次のロケ地だった円覚寺まで撮影隊の後をついて行き、そこでも撮影の一部始終を見学したことがあるそうだ。
父はまた、1942年公開の映画「白い壁画」の出演者及びスタッフが歓会門の手前で休憩しているところにも遭遇したことがあるそうだが、「僕は中学生になって牧志に引越したから、あの辺りを歩いたのは小学生の時しかない。だから、『白い壁画』が撮影されたのは1937年以前じゃないかな」と言っている(註・父が中学校に入学したのは1938年4月)。
しかし、父が通っていた中学校は今の首里高校だし、首里には親戚や同級生が大勢いるから、那覇に引越した後も首里城周辺を歩く機会はいくらでもあっただろう。よって「白い壁画」が最短で5年もお蔵入りになった後に公開されたというのは父の勘違いだと思う。
父はまた、1942年公開の映画「白い壁画」の出演者及びスタッフが歓会門の手前で休憩しているところにも遭遇したことがあるそうだが、「僕は中学生になって牧志に引越したから、あの辺りを歩いたのは小学生の時しかない。だから、『白い壁画』が撮影されたのは1937年以前じゃないかな」と言っている(註・父が中学校に入学したのは1938年4月)。
しかし、父が通っていた中学校は今の首里高校だし、首里には親戚や同級生が大勢いるから、那覇に引越した後も首里城周辺を歩く機会はいくらでもあっただろう。よって「白い壁画」が最短で5年もお蔵入りになった後に公開されたというのは父の勘違いだと思う。
Posted by 百紫苑(hakushon) at 23:48│Comments(0)
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